「できん……。悪いが、諦めろ」
 
それがローズさんの答えだった。
 
今日、フィオは2万5000リルの給料を前借りできないか相談しにきていた。この三カ月で溜めた貯蓄(生活費)からしぼり出すのは5000リルが限界だった。
 
今の給料のままではアントリスの提示した期限に間に合わないのだ。
 
「……なら、娼夫として働かせてください……!」
 
「それもできん」
 
ローズは大きな腕を机の上で組んでいる。指で机をトントンと叩く様子からは苛立ちが見て取れた。
 
「……いいか、お前は娼夫として場に出さん。そして、理由も言えないやつにそんな大金を貸すことはできん。他の娼夫たちに示しがつかんことくらいは分かるだろう」
 
ハッキリとした理由を言わないフィオに対して、ローズはあくまで穏やかに理由を聞き出そうとする。
 
「なぁ、なぜ3万リルもの大金が必要なんだ?そんな大金、俺だってすぐに稼げる金じゃない。単純に金が欲しいというわけではないんだろう?」
 
フィオは、一瞬本当の理由を言おうか迷った。だが、アントリスは仮にもこの街のシスター。彼女から不正入試を持ちかけられたなどと言っても、ローズはそれが本当だと信じていいのか分からないだろうし、たとえ信じてもらえたところで、取引に反対されて貸してもらえないだろう。
 
この話をローズに相談するのはリスキーだ。
 
「……フゥー……。……以前から考えていたことが、フィオの働きぶりは高く評価していてな。給料を上げようと思っている。一日あたり300リルでどうだ?もちろん、その日に応じて色もつけるつもりだ。……レガン市での子供の給料としては破格だとは思うが」
 
それで納得しろ、と言わんばかりの圧がローズから放たれている。
 
「はい……ありがとうございます」
 
「……まぁ無駄遣いをすることもなければ、3万リルぐらいはそのうち溜まるさ。なにか買いたいものがあるのなら、それからにしろ」
 
本当のことを言うべきかどうか、果たしてそれは信じてもらえるのか……、フィオは悩む。
 
「……夜も入らせてもらえませんか?」
 
ローズは、フゥーといつもの溜息を付きながら天井を見上げる。
 
「わかった。夜も入った日は500リルだ。……ただし、夜は客の前には出るな。それが条件だ」
 
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
 
結局フィオは金が必要な理由を相談することができないのであった。
 
 
なにも状況が好転しないまま年があけた。
 
アルマは変わらず神魔法ができないままだった。下宿でもずっと経典を読むのと瞑想をするの繰り返し続けている。
 
稼ぎに関しても状況はよくない。このペースだと1週間後に3万リルを持っていくのは不可能だ。
 
「フィオ、パイを2つ切りわけてくれ。それとホットワインも2つ。片方はショウガを多めだ」
 
「はい!」
 
夜に働きに出ることに関しては、『アルマの練習の邪魔になるから』と理由を付けて納得してもらった。
しかし、それでも1日500リル。その中から2万5000リルを捻出するにはどれだけ切りつめても2カ月以上はかかる。
 
(なにか、今の仕事以外でお金を稼ぐ必要がある)
 
フィオはここ最近ずっとそんなことを考えている。
 
「いやー、年明けは忙しいこって」
 
パイとホットワインを客のところへ運び終えたソレルが戻ってくる。
 
「さすがにホットワインぐらい俺らにだって作れるわ。ローズさんのやつ馬鹿にしやがって」
 
本気で怒ってるわけではない。こういう軽口はソレルなりのコミュニケーションだ。
 
厚手のマントを椅子に掛けた狼人族ルガールのお客が、パイとホットワインを娼夫と楽しんでいる。その様子をフィオはカウンター越しに眺める。娼夫の顔はうれしそうに見えた。
 
食事を楽しんだ後は、客は娼夫と連れ立って受付の方へと歩いていく。フィオは客対応をしない約束のため、ソレルが宿の受付に向かった。
 
「それじゃあ、部屋を貸してもらえるかしら」
 
「えぇ、楽しんで!」
 
最後の客だった一人と店の娼夫が連れ立って2階へと上がっていく。
 
一階の店内はソレルとフィオの二人になった。
 
「やっぱり楽しいんですか?」
 
「んなわきゃねぇだろ」
 
最近フィオは稼ぎのよさそうな娼夫たちの仕事に興味を持つようになっていた。
 
休憩時間に聞く娼夫たちの愚痴からも、――たまにぞっとする話が混じるものの――面白おかしく語る彼らの様子からは、本当は楽しんでやっているのではと感じる瞬間もあるのだ。
 
「ソレルさんはなんでこの仕事を選んだんですか?」
 
「……」
 
最初ソレルは聞こえないふりをしているようだった。
 
フィオがじっと見ているとソレルは溜息をつきつつ、答えてくれた。
 
「……金のためだ。それ以外にはねぇ。能力のねぇ俺には他に仕事なんかねぇんだよ。……田舎に帰るのも怖ぇ。だせぇ女と男しかいねぇ田舎は嫌だっつって飛び出してきちまったからな。いまさらあそこに俺の居場所なんかねぇ」
 
ソレルはフィオに目を合わせることはせず、ゆっくりと話し続ける。
 
「もしかしたら、なにか頑張りゃ他の仕事ができんのかもしんねぇ。でもだからといってそれを頑張るほどこの仕事がしたくないってわけじゃねぇ。……できるって保証もねぇし」
 
感情を消して淡々と話す様子は、フィオをいたずらに怖がらせないようにしているようにも見える。
 
「そうやって、あれもねぇ、これもねぇって選び続けた結果、俺はこの仕事を選んでんだ。参考になったか?」
 
そしてソレルはおどけるように自嘲気味に笑った。
 
「娼夫に夢を見てんじゃねぇよ。やめとけ。戻れなくなる。な?」
 
「……はい」
 
静かで、優しそうな響きながらも、ソレルの言葉には反論を許さないなにかを感じた。
 
 
その後、二人で酒場の営業を続ける。ソレルは先ほどの会話などなかったかのように時々軽口を飛ばしながら元気に働いていた。たまに客から誘われるが、『酒場の最後の店員だから』と上手く誘いを断っていた。
 
そうして働いているうちに、赤鼻通りの賑わいも落ち着きを見せ始める。通りの女性達はもう帰るか、どこかの宿に入るかしている頃だろう。
 
大体いつもこれぐらいの時間になったところでフィオも帰宅する。今日もいつもの通り報告とお給金の受け取りを兼ねてローズの部屋まで向かおうとした。
 
「もし」
 
静かな店内に来訪客の声が通る。
 
店の入り口に立っていたのは執事服を着た馬人族エクアールの女性だった。年のころは13、4くらいだろうか。凛とした雰囲気の中に幼さが残っている。
 
赤鼻通りで普段見かけるような付き添いの執事とは違って帯剣している。それに彼女は見たところ一人のようだ。人通りの少なくなってきた時間ということもあいまって妙な緊張感が漂う。最近馬人族エクアールがらみで嫌なことがあったこともその一助になっているかもしれない。
 
「出会い酒場ローズというのはここで合っているだろうか」
 
ソレルは突然の来訪に一瞬驚きながらも、すぐに調子を戻して対応を始める。
 
「......え、えぇ。あっていますよ。お食事ですか?男はもう出払ってるんで、男をご所望ならよそを当たってくださ――」
 
「主人を呼んでくれるか」
 
威圧するでもなく淡々と告げる執事。単に店を利用する以外に、何かしらの目的があるのだろう。
 
「……フィオ、ローズさん呼んできてくれ」
 
フィオはコクリとうなづいて、奥のローズの部屋へ向かった。その背中を興味深そうに執事が眺める。
 
「あんな子供までいるのだな」
 
「ま、まぁ、あいつは見習いみたいなもんで。接客はやらせてません」
 
「……そうか」
 
背後で二人が会話をしているのを聞きながら、扉に『コンッ、コンコン』と特徴的なノックをする。客がローズを呼んでいる時のサインだ。
 
ローズはフィオのノックには声を出して応じず、ピシッとした装いですぐに部屋から出てきた。
 
「わたくしが当店の主人のローズと申します。レディ、何か御用でしょうか」
 
この異質な来訪者を見ても一切動じることはなく正面から要件を尋ねるあたり、ソレルとは踏んできた場数が違うのだろうということがうかがい知れる。
 
しかしどうやらこの執事は、そんなローズからしてもやばい客だったようだ。
 
「ふむ。……私はこういうものなのだが」
 
執事が腰に帯びていた剣の柄をローズに向ける。
 
「……っ」
 
剣はすぐにおろされたのでよくわからなかったが、柄にはなにかの花の印章が彫られているようだった。その印章を見たローズは口をパクパクとさせ、次の言葉を発することができない。
 
「これからお嬢様がここをお使いになられる。お嬢様がお選びになる男を何人か用意してくれ」
 
(お嬢様?)
 
お嬢様という単語からこの執事は護衛だったということが分かる。
 
「い、いや、今は年明けで客足が多く、娼夫たちはすでに出払っておりまして……、申し訳ないのですが、男はここにいるソレルと私ローズのみとなっております……」
 
「ふむ、そちらの子は?」
 
「あ、あの子は娼夫ではございません」
 
「主人の息子か?」
 
「……。……そのようなものです」
 
「そうか」
 
執事は簡単なやり取りをして、ローズとソレルをさっさっと目視で確認する。
 
「2人だけか……、うんん……。まぁいい。……とりあえずそちらの2人は必要な準備を済ませておくように。あぁ、この後の酒場の売り上げ分の支払いはするから、心配するな。……それでは、おい、そこの。小さい君」
 
フィオはカウンターの奥に控えていた自分が呼ばれていると気づき、接客に応じて良いものか逡巡するが、ローズが動揺するほどの相手ならそんなことも言ってられないかと、応じることにする。
 
「はい、なんでしょうか?」
 
「この宿の一番いい部屋へ案内してくれ」
 
 
その後、ローズとソレルは酒場の店仕舞いを手早くこなし、化粧室に入って準備を始める。ローズはやや青ざめた表情で、ソレルは何が起こっているのか分からず混乱している様子だ。
 
フィオは執事を連れて、3階の一等部屋へ。
 
「先ほど君は娼夫ではないと聞いたが、……何か理由があるのか?」
 
ふと執事に尋ねられる。
 
「ローズさんに止められていまして」
 
詳しく説明するものでもないと思うので、簡潔に答える。
 
「ふむ、年齢に関することか?……君自身はこの仕事がやりたい、と?」
 
予想外に会話を続けられる。
 
穏やかな口調のはずの執事から、なにかを鋭く観察されるような気配を覚えた。
 
「え、えぇ。いずれは。お金は、必要ですから」
 
「ふむ」
 
執事は一つ納得したようにうなづく。そのあとすぐに観察されている気配は薄れた。
 
一等部屋につくと、フィオが鍵を使って先に中に入る。部屋内に異常がないことを確認してから一度出て、執事を部屋に通す。
 
部屋の中は明るくしすぎないように、数個の灯りだけが灯っている。
 
廊下までは時折響いていた嬌声だが、扉を閉めると同時に外の音が一切聞こえなくなる。音を遮断する魔道具を使っているらしい。密談などにももってこいの部屋である。ほとんど使われることはないのだが。
 
室内の調度品は上等なものを備えており、部屋に備え付けの専用の露天風呂までついている。もちろん、このように豪華なのはこの部屋だけだ。
 
「おぉ、正直ここの売春宿に期待などしていなかったのだが……、聞いていた通りだな。これは素晴らしい」
この様子からして、誰かの紹介でここへ訪れたようだ。それにしても隣国にまで名前が轟くほどこの店は有名なのだろうか。
 
「それではお連れの方がいらっしゃるまで、こちらの部屋でお待ちください。私はこれで失礼いたします」
「いいや、ここに残れ」
 
執事は表情を変えるでもなく、淡々と告げる。
 
「妹のために金が必要なんだろう?」
 
「なっ……!!?」
 
消音魔術により無音になっている室内で、自分の鼓動の音だけがいやに大きく聞こえる。
 
「……、どちらで……そのことを……?」
 
アントリスが言いふらしているのだろうかと一瞬頭をよぎるが、彼女にとってもこのことが他人にバレるのはまずいはずだ。
 
「さぁな。誰かから聞いた訳でもないし、君のことはさっき初めて知ったとだけ言っておく。……いや、驚かせてすまない」
 
少々バツが悪そうにはしているものの、相変わらず表情が読めない。
 
「まぁ、なんだ。偶然振ってきたチャンスだと思え。妹を救うための、な」
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