小説/1章/007_フィオの一日
目次
行数
明朝
ゴシック
CHARS:
0
保存
『出会い酒場ローズ』で働き始めてから3カ月ほど過ぎた。 窓から見える外は白い雪で地面が覆われており、凍り付いた池の上では、子供と犬が遊んでいるのが見える。 フィオ達はというと、フィオの稼ぎが一日換算で120リルくらいになったこともあり、掃除用具入れから普通の小さな客室に格上げすることになった。掃除用具入れには机がなかったことが格上げを決めた理由である。小さな客室には手紙などをしたためるための小さな机がついていたのだ。 下宿の女将さんに相談したところ、相場よりも安い値段で借してくれた。ベッドも一つだが、子供のフィオとアルマでは二人で寝るのにも十分だった。 「それじゃあ、アルマ。これが今日のお布施ね。...木綿紙はまだ使える?葦ペンもダメになってない?」 「うん、大丈夫。ありがとう、お兄ちゃん」 ぼろぼろのカバンの中をのぞきながらアルマが答える。これからアルマは教会へ向かう。教会ではお布施の代わりにシスターが読み書き計算などの勉強のほか、魔力トレーニング、宗教知識の説教をしてくれるのだ。神学校を目指すアルマにとってはいい環境だ。 「じゃあ、行ってきます!」 「いってらっしゃい」 アルマを部屋から見送ると、フィオも出かける支度をする。 まだ朝早い時間だが、ちょうどいいくらいだろう。 部屋を出る直前にトルトレイアの香油を少しうなじに塗り、外へ出かけるのだった。 ◇ 「あの、ソレル。フィオはまだきてないかい?」 「も~...、何回目っすか?毎日着いたらローズさんのところにあいさつに来るんすから分かるでしょ。掃除の邪魔なんで戻っててください」 「あ、あぁ」 ソレルは出会い酒場の前の石畳に水をまきながら生返事を返す。酒に酔った女性客達が吐いたあとをごしごしとブラシでこすっているのだ。最悪なことに目詰まりしながら一部凍ったりもしていて、非常に掃除しづらい。 「...着いたら俺のところへ来るように、伝えておいて」 「は~い、了解っす」 ローズはすごすごと店内に帰っていく。 (全く...、そんな心配ならここに住まわせりゃいいのに) まぁそんなことはローズがさせないということも分かってはいる。夜の赤鼻通りは危ない。子供に住まわせる場所ではない。 ソレルが引き続き目詰まりと格闘しつつゴシゴシしているとやがてフィオがやってきた。 「おはようございます、ソレルさん」 「おぅ、おはよう。フィオ」 (ローズさんが突然子供を採用すると言ったときは従業員全員が、やっぱあの張り紙はダメだったとか、ついにローズさんの気が触れたと騒いだもんだったが) 裏方の採用だったことや、フィオの仕事ぶりを見て3日もしないうちに反対派は消えた。 「ローズさんが寂しくて死んじまうから早く来てくれってさ」 「あはは...。それじゃあ急いで挨拶してきますね」 「挨拶終わったらコレ手伝ってくれ~」 「はい。じゃあまた後ほど」 フィオは汚れているところを踏まないように避けて店の中へ入っていく。 その後ろ姿を見ながらまた、ゴシゴシと石畳の目地に詰まる汚れを落とし始めた。 ――フィオの採用については、かくゆう俺も反対派だった。俺はこの店じゃあ儚いカワイイ系の童顔で売ってる。 マジの子供で、しかも俺よりもずっと儚いカワイイ感じのフィオが入ってきた日には俺の客が全部持ってかれんじゃないかって警戒してた。 恥を忍んでローズさんに直談判したときは『儚い...?ソレルが...?』とか、俺の魅力を分かってない感じだったが。 フィオには客を取らせねぇってことで俺も一応は納得してフィオの採用を認めてやった。 心配していたのは最初の一日だけだった。その日、フィオは客の前に出ることはなく、裏でひたすら帳簿を見てなにかを書き写すだけだった。なんか、小さい体でそれを黙々とやってる姿を見て、あぁこいつは儚いだけじゃねぇやって思った。 多分、こいつが争う相手じゃないってのは、そん時に本能的に思ったんだろうな。守らなくちゃいけないやつだ、って。ローズさんがなんで雇ったのが少し分かる気がした。 次の日、フィオからローズさんに整理した帳簿を渡すのと同時に、この酒場のダメなところを伝えているのが見えた。俺たちが料理を苦手にしていることがあっさりフィオにバレたらしい。なんで帳簿を見るだけでそんなことがわかるんだ?そういう魔法でも使ってんのか? そんでローズさんと相談した結果、ここで出す食事には火を使わない皿に盛るだけのやつってことになった。 するとどうだ。接客する時間は増えたし、変な料理でイラつく客もいなくなった。気分を悪くして帰る女も、変に八つ当たりしてくる奴もいなくなって俺らのストレスも減った。 俺たちが料理はしたくねぇってローズさんに何度言っても聞いてもらえなかったのが、帳簿を持ったフィオに注意されただけで折れたんだ。マジですげぇ魔法使いなんだろうか。 この時点でフィオの採用に反対する奴はうちにいなくなった。 「ソレルさん、お待たせしました」 「ずいぶん早かったな、ローズさんの様子じゃ、そのまま熱い一晩でも過ごすんじゃないかと思ってたんだが」 「早くソレルさんに会いたかったもので」 軽口を言いながら店の中からフィオがモップを持って出てくる。冬場の石畳は水気が残ったままだとすぐに凍って危ないからだ。客が店の前で滑って転んだなんて面倒なことは起こししたくない。 ソレルがブラシ掛けをしているのを見て自然にモップを選んでくるあたりにもフィオのそつのないところが出ていた。 「代わってくれてもいいんだぜ?」 「一緒にやりましょう。そっちのほうが早く終わります」 そう言ってフィオは、石畳をならすようにモップで石畳を拭き始める。 ソレルもそれを見て、ふっと笑ってまたブラシを動かし始めた。 ◇ フィオが部屋から出て行ったあと、この3カ月のことを考える。 (本当に思わぬ拾いものだったな...) やってきて早々メニュー改善の提案をしたかと思えば、それから客の不評も少なくなったし、娼夫たちも喜んでいるようだった。何よりも無駄な食材費が減った。 しかし、そもそも娼夫らの料理が上手であれば、もっと上手く回っていたのだ。努力して料理を上手くなろうとしない彼らが悪い。 これぐらいはできるだろうと食事メニューを任せていたが、見事に痛いところを指摘してある帳簿を見せられるとぐぅの音も出なかった。――料理以外のことをさせたほうがいい――と思えた。 フィオの言う通りにドリンク中心でメニューを組みなおしたところ、うちの経営はぐぐっと改善された。まぁだが料理の勉強をやめさせるつもりはない。いずれ誰か一人でもまともな料理を作れるようにするつもりだ。これは譲らん。 帳簿の整理がひとしきり終わると、今度はフィオはみんながやりたがらない毎朝の宿部屋の清掃を率先してやるようになった。うちの宿はいうなれば売春宿としても使うので、ベッドシーツなんかはとくにいろんな汁で汚れていて誰も触りたがらない。感心する。 今までは、その日一番下っ端の娼夫がやる仕事だったんが、フィオがほぼ毎日入ってくれることで娼夫たちの負担がかなり減った。 さらにはフィオが子供だからと、普段周りに話せない悩みを聞かせている娼夫もいるようで、こんな形でも有用性を見せている。 一カ月くらい前からは夕方までの宿の受付も任せているが、客からのウケも上々のようだ。売春に関係のない昼の売上も少し出るようになった。驚くことだ。 ローズさんの息子か?次期主人か?とからかってくる客までいる。冗談でフィオを部屋に連れこもうと誘いはじめたヤツは、視線だけで射殺すように強めに睨みつけてやった。 (もうちょっと給料上げたほうがいいな。これは) すでに結構店の一部をフィオに依存している節はあり、もう今抜けられると非常に困る。 (一日100リルぽっちじゃ少なすぎる。よその店からもすでに目を付けられ始めているし、引き抜きの心配も必要だ...。とりあえず300リルぐらいで納得してくれるかどうか。...それと、あっちのことも王室の関係者に詳細を聞かなければ…) ――勘と感覚で生きてきたローズは計算が得意ではないながらも頭の中で試算し始めた。 ◇ 朝は店先の石畳と部屋の清掃(売春客のチェックアウトはまださせてもらえない)、昼からは宿泊客のチェックインの手伝いと、裏手にある厩舎の掃除。客の馬がいればエサやり、ブラシ掛けなども行う。 休憩時間は従業員の皆さんからいろんなお話を聞かせてもらう。軽食屋に連れて行ったりもしてくれる。 再び業務が始まると、チェックインの手伝いに戻り、軽食や酒の提供もはじめる。その合間に帳簿の管理や備品のチェックを行う。 そして夕方、陽が沈み始めるころにローズさんに引継ぎの報告をして、お給金を受け取って帰宅する。 こんなふうにフィオはここのところずっと朝から夕方にしか赤鼻通りにしかいない。 あの日見た、夜の赤鼻通りの異世界のような光景は、いまでは夢の中の出来事のようにおぼろげな記憶になりつつあった。 100リルという条件で受けた仕事だが、いつも何かしら理由を付けて120リルくらいにして渡してくれる。ドリンク作り頑張ったとか、妹ちゃんとの食事代とか。 フィオは、大体こんな感じのスケジュールで1日を過ごしていた。 以前の未来の見えない暗闇の中を手探りで歩き続けるような日々に比べて、とても幸福な日々だった。 そしてフィオには楽しみなことがあった。 (明日は久々のお休みだ!) 明日は教会に行って少しアルマの勉強の様子を見させてもらうのだ。特に楽しみにしているのがアルマの魔法である。フィオは魔法をあまり見たことがない。バラドの宿にいたころ、お母さんは『自分の魔法は人に見せるもんじゃない』と見せてくれなかったので、旅の人が披露してくれる様々な魔法を見るのが大好きだった。 髪の毛が自在に動く魔法だったり、指先が小さなハトに変わる魔法。フィオの考えていることを全て当てられる人もいれば、杖の先からお湯を出せる人なんかもいた。 アルマは最近は特に魔法の勉強に力をいれて頑張っていると言っている。フィオが授業の様子を見に行きたいというと少し嫌そうにはしていたがしぶしぶOKしてくれた。 そんなこんなでフィオは明日の授業参観をとても楽しみにしている。 ブラシがけをいつもより頑張った結果、ピカピカになった馬が、満足そうに鼻を鳴らした。
キャンセル
削除