小説/1章/009_取引
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フィオには今いくつかの選択肢がある。
幸いなことに生活が安定してきたため、慎重に選択肢を吟味することができる。
(まず一つ目、このままオレイラ神学校を目指す。もちろん入ることができるなら御の字だ。アルマは経典の内容はびっしり丸暗記済みだし、文字だって書けないことはない。計算もある程度...たぶんできる。...筆記の試験で落ちることはまずないだろう。面接試験に置いても、あの賢くてかわいいアルマが落ちるとは思えない。問題は...)
年明けに控えた神魔法の試験だ。今は年末、年明けの試験まで猶予は1月もない。
昨日の授業では入学してからの予習を兼ねて神魔法を教えているのかと思いきや、まさかの試験だったとは。それはアルマの表情が浮かないわけである。
授業参観――という名目――で教会に行かなかったら、フィオには怖くて相談もできなかっただろう。
(入学試験に落ちた場合、来年の神学校の試験を目指すか、諦めて別の魔法学校を目指す方向もある...)
だが、そもそも学費無料ということがアルマの背中を押したのだ。自分の学費がフィオの背中にのしかかるのであれば、アルマはそもそも入学を拒否するだろう。浪人生になった場合の生活費用についても同様だ。
(そうなると一緒にこの街で働くということになる...)
ちなみに赤鼻通りやローズは論外だ。アルマには市庁舎で仕事を探してもらうことになる。
ただし、この選択の場合はいつになるか分からない、お母さんの大魔討伐をレガン市で待つということだ。
(アルマは賢くてかわいいのだけど、仕事となると...)
アルマは自分でも言っていたがケンカっ早い。あのお母さんの娘なので、それを全部遺伝しているとなれば、多分大人になっても治らない。雇われの仕事は無理だ。
レガン市でのフィオの仕事もいつまで続くかわからない。フィオは現在、首に輪っかをはめられているような状態だ。こちらはこちらでいつ店からクビを宣告されるかわからない。
また、ローズでの娼夫たちの話を聞く限り、路上での春売りも長期的に稼ぐのは向いていないらしい。踏み倒されたり、事件沙汰になったりするからだ。
フィオの一日120リルという稼ぎで、兄妹二人が今を生きるのはともかく、これから体が大きくなっていく中ではとてもじゃないがやっていけると思えない。路上での売りのことを計算に入れても難しい。
(おかしい。選択肢が、ない)
考え始める前にいくつもあった選択肢だが、考えれば考えるほどに、アルマが神学校に受かるということ以外に選択肢はなくなっていくのであった。
フィオはその日少しぼーっとしながら仕事をしていた。
(神様ってなんだろう?)
迷えるものの道の先を照らすのが神様の役割なら、今まさに迷っているフィオやアルマの道先を照らしてはくれないものだろうか?
「――おい、フィオ。聞いてんのか?」
「はい、それはソレルさんは悪くないです」
ちなみに今は休憩時間中だ。店の裏手の厩舎に置いてあるベンチでソレルと蒸かし芋を食べながら話をしているところだ。
「やっぱ聞いてなかっただろ、お前」
ソレルさんはふぅーっと溜息をついてもう一度、話のあらましから話し始める。
「一緒の部屋に住んでるやつがよぉ、急に田舎に帰るとか言いやがって、代わりに部屋に連れて来たやつが、女だったんだ! 信じられるか? 2人部屋だぞ、フツー売春でもねぇのに女と男を一緒の部屋に入れねぇだろ!?」
今度はちゃんと聞いてみたがどうでもよかった。
「...ソレルさん一人で部屋を借りるとかはどうです?」
「それができりゃ苦労しねぇよ...。うめぇもんが食いてぇ。酒だって飲む。服だって欲しいし、博打の元金もいる。部屋代なんかにいちいち大金使ってられるかよ」
ソレルを見て自分とはずいぶん違う世界にいる人だと思う。うらやましいとか、愚かだとか、そんな感情ではなく、違う世界線を生きている人という感じだ。
「あーあ、博打でドンとあてられりゃ、こんな仕事なんかすぐに足を洗うのによ......。頼むぜ神様~...」
ソレルの愚痴は、しばらく続いた。
「……ま、どうせ俺なんかじゃ力で勝てやしねぇしな。どっか安くて狭ぇ部屋でも探すとするわ」
言い捨てるように最後に言って、ソレルは芋の皮を丸めて馬に食べさせた。
(神様……か)
ソレルが店に戻ったあとフィオもベンチから立ち上がり、同じように馬に残った皮を上げる。馬が食べ終わったのを見て一撫でしてから店へと戻ろうとした時、ふと目の前の路地の石畳に座り込んでいる女性が見えた。
最初フィオは、昼間から珍しい。とだけ思った。
赤鼻通りはスラムとは違う。夜に酒で倒れる人が出ることはあるが、昼間から酒盛りをしてジョッキ片手にダウンしている人を見かけることは少ない。
しかし、どこか見覚えのある姿だな、と思い近づいた。顔の右側に大きな火傷の痕があるのに気づく。そこで思い出した。たしか、教会にいた――シスターアントリス。
彼女がシスター服を着ているわけでもないのに気づけたのはほぼ奇跡だろう。
「......んぁ、あれ...、酒がない、......つか、ここ、どこ...?」
なぜこんなところにシスターが?とかの疑問もあったが、とりあえずシスターが道で倒れているのはやばい気がしたので酒場の中へ連れて行く。
「シスター、立ってください...!」
脇に頭を入れるようにして、肩を貸しながら酒場へと入る。
突然飲んだくれの女を持ち帰ってきたフィオにギョッとするソレルら娼夫達だったが、フィオの知り合いのシスターだと分かるとテーブルを少しどけて水の入ったゴブレットを渡してくれた。
「おー、ありがとよ...、少年」
酒焼けなのか少ししゃわがれた声でフィオに礼を言うアントリス。フィオに手渡してもらったゴブレットを一口で飲み干した。
「......ところで少年よぉ、さっき...、あたしのことを...うっぷ...、シスターっつったか?」
まだ視点が定まってはいないようだったが、少し思考は戻ってきているらしい。
「はい、シスターアントリスですよね?東区の坂の上の教会の」
「おぅおぅ、バレちまったぜ...」
シスターアントリスはそう言うと、再びゴブレットをあおった。空だとわかると舌打ちして店内の床にゴブレットを投げ捨てる。
転がっていくゴブレットを眺めて、それからその目がようやくまともにフィオを捉えた。
「そんで少年よ……お前、どこで見たんだったっけ? 教会か?」
「はい、秋ごろに何度か教会へ行っていたので。...あ、それと最近は妹が毎日教会に通ってます」
「妹...」
シスターアントリスはフィオの顔を目を細めてじーっと見る。
「おぉっ...!お前、あのちっこいのの兄貴か?えーと……アルマ?」
フィオは小さく頷いた。
「はい」
「あたし、あの子のこと結構気に入ってんだよ。毎日毎日せっせとお布施してくれてありがとうよ~、...うっぷ......おかげでこっちは助かってるぜ」
フィオはここまでの所作などの言動で、嫌いなタイプかも。と思い始めていた。
「...ははっ、冗談、冗談!そんな顔すんなって!可愛い顔が台無しだぜ」
(アントリスさんには失礼だけど、ここでこのまま介抱するのは店に迷惑がかかりそうだ...、今日は早退させてもらってこの人を教会まで送っていこう)
転がったゴブレットを拾って、ローズの部屋へ向かう。
すぐに事情を理解したローズはフィオに早退を許可するのだった。
千鳥足気味の女性を体で支えながら大通りを通って東区の方へ抜けていく。
頭の上からする酒臭い息がひどく不快だ。
何人かの通行人がいぶかし気にこちらを見るものの、酔っているほうが女、支えているほうが男だとわかると、性的な危険性はないと判断したのか、興味をなくしたようにすぐに目線を外す。
「ところでよ、お前。赤鼻通りで働いてんだな」
フィオはシスターからの言葉に身構える。働いている場所が赤鼻通りだということは、教会にはもちろん、アルマにも教えていない。
説教でも始まるかと身を固くする。
「......ダメですか?」
「いいや、ダメじゃねぇ」
アントリスはいまいち何を考えているのかがわからない。こちらの状況を一方的に確認するかのようなじっとりとした雰囲気をまとっており、気味が悪い。
「アルマのことなんだがな、知ってるか?神魔法が使えねぇんだ」
「......それがどうかしたんでしょうか」
知っている。......昨日知ったばかりではあるが。
「オレイラ神学校には神魔法が使えねぇと入れねぇ。どうせ学校に入ってからも勉強すんのにな」
それはフィオも思うところである。まぁ、学費が無料というところで学校側も殺到する応募者から入学する生徒を選ぶ必要があるのだろう......。
「だがな、まぁ毎年、緊張しちまうからってんで、試験の”本番だけ”上手くいかないやつがでてくんだ。いつもはできてんのにだ」
「それは、...辛いですね......」
神魔法は信仰の光を上手く魔力に込める必要がある。極度の緊張にさらされて集中が出来なければ、たしかに失敗することもあるのかもしれない。
「わかるよな?辛いよな?あたしらシスターが適正”有り”って評価するか、”無し”って評価するか...それだけでそいつの人生は変わっちまうんだぜ」
あたしらシスターだって辛いんだよ、と、アントリスは右手を大仰に振ってジェスチャーを行う。
「本当は適性があっても、試験の時にできなきゃ、そいつは適性”無し”だ。......だからな。そういうやつらをこっそり救ってやんのが、あたしが神様から賜った役目ってわけよ」
アントリスはこちらの顔を覗き込み、フィオの目を見据える。
「逆にいや、偶然、試験の時に一発でできちまえば、適性”有り”......ってことだ。何を言いてぇのか、わかるな......?」
フィオを覗き込むアントリスの真っ黒な目は何を考えているかわからない。フィオは今ハッキリとこのシスターに対して恐怖を覚えていた。
「3万リルだ。それでアルマの神魔法の適性を”有り”ってことで上に報告してやる」
「なっ......、それは......!」
「バレやしねぇよ!いままで何度もやってきてんだ。適性試験は地方でだけ、次からの王都の試験では適性試験はねぇ。地方の試験の時だけ偶然できました、で全部説明がついちまう!」
「だ、だからって......!」
フィオはそのあとの言葉を続けることができなかった。アントリスの言葉に、救われたかもしれない人たちのことを考えてしまった。
「......なんだぁ?反応が悪ぃな。......あ、金か?...金ならよ、フィオくん、君、赤鼻通りで働いてんだろ?ならそれぐらいの金、一週間もありゃ稼げんじゃないの?」
「......いえ、僕は、店の下働きです。......娼夫ではありません......」
「......はっ?ははは!なんだ、お前童貞なんかよ!」
アントリスはさらに上機嫌に続ける。
「おーおー、そんじゃ得したな! ショタコンの変態ババア相手に売りしてみろ。童貞って信じてもらえりゃ3万くれぇ一晩で稼げるかもな!」
「......」
「嫌か?まぁー嫌か。男を買う連中なんざお前からすりゃみぃんなババアだ。ババア相手の売りなんざ吐き気がするよな」
うえっと舌を出すように、言葉を吐き捨てる。
「まぁ嫌ならしょうがねぇな。アルマはまた来年にでも頑張ってくれや。おっとまだ年は明けてねぇから再来年だったな、ははっ」
そうこうするうちに教会の下の坂につく。
「ここでいい。送ってくれてあんがとよ。まだ酒がちぃと抜けてねぇもんでな......。このまま教会に帰るわけにゃいかねぇ」
アントリスは頭痛がするのか両手の親指でこめかみを抑えている。
「その気になったら3万リル持って教会のあたしの部屋までくんだな。試験監督の交代を教会に申し出る必要もある。......そうだな、年明けから一週間がリミットだ。それ以上は待たねぇ」
「......はい......」
フィオはアントリスの顔も見ずに会釈し、アントリスは手をあげて応じる。フィオはそのまま背を向けて下宿へと帰り始めた。
あぁ、そうそう。と思い出したようにアントリスはフィオの背中に声をかけた。
「あなたの行く末を光が照らしますように」