小説/1章/002_秋口のレガン市
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今は夏の終わり。窓から見えるレガン市の大きな池の周りには金色の水草が笹穂を揺らしており、鮮やかな色とりどりのトンボが集まっている。
フィオは床に敷いていたシーツをきれいに畳んで、踏まれない位置にしっかりとしまってから小部屋を出た。
今日は日曜学校だ。ここにきてから、日曜の朝はアルマと教会へ行くようにしている。
1月ほど経ったので4回ほど通っているが、祈りの内容などはまだ全然わからない。まぁ、あまり意識して覚えようとも思っていない。お菓子が目当てで行くのだ。
トントンと階段を下りて一階へと向かう。一階は酒場になっており、アルマと二人で上の階の掃除用具入れの小部屋を寝床として借りさせてもらってるのだった。
酒場に降りるとアルマが玄関から外を眺めているのが見えた。まぶしそうに目を細めて通りをじっと見ている。
「アルマ、おはよう。教会に行こっか」
「...うん」
僕はアルマに手を差し出し、アルマはしっかりと手を握る。
あの日からアルマはあまりしゃべらなくなった。そして、僕と手をつながないと外を歩けなくなった。
二人で教会への道を歩く。
「今日はどんなお菓子がもらえるかな?」
「...」
「トンボが飛んでるよ、秋だね」
「...」
こちらからたくさん話しかけるが、アルマからの返事はない。でもアルマは僕を拒絶しているのではないことは分かっている。
一度、話題を振られるのが辛いのかと思って何も話しかけなかった日があった。僕もいろいろあって心が限界だった。朝仕事に行って、夜帰ってきてからも一言もしゃべらず、床のシーツに頭までくるまって寝ようとしたところでわんわんと泣いてしまって大変だった。
アルマを守ると誓ったのに――。
兄なのに妹を泣かせてしまったことにひどく後悔して、朝までアルマに話しかけ続けた。やがてアルマが寝たのはもう夜も開けそうな薄明るい空。そのあと仕事に支障をきたさないように急いで寝たが、仕事には遅れてしまいひどく怒られた...なんてこともあった。
「アルマ、もうちょっとで教会だよ」
この坂を上ると教会だ。ふと見ると、教会までの荷だろうか。牛が重そうに荷台を引いて、後ろからおばさんが荷台を両手で支えながら坂を上っているのが見えた。
アルマの手を引きながら歩いていたものの、その様子が危なっかしくて見てられなかったので荷台を支えるおばさんに近寄る。
「お手伝いしましょうか?」
「ハァハァ...、助かるよ、ありがとう――ってアンタ男かい!そんなことさせらんないよ」
まぁそういう反応が来るだろうなと思っていたのでフィオは黙っておばさんの隣に並ぶと一緒に荷台を押し始める。アルマは気を利かせて手から服のすそへとつかむ対象を変えていた。
「あっ、もう...。はぁ~、ごめんね、情けないおばさんと牛で...。こんな小さい男の子に助けてもらったなんて近所に見られたら笑われちまうよ」
「えっと...嫌な気分にさせてますか?」
「違う違う!きみは悪くないよ、おばさんがもっと鍛えないとね!さぁ、誰かに見られる前にさっさと登っちまうよ!」
フィオの力が加わったことと、おばさん自身も気合が入ったのか先ほどまでよりも速いスピードで一行はぐんぐんと坂を上っていく。
「その子はアンタの妹かい?」
「はぁ...はぁ...、はい、そうです」
ちょっと押すのを手伝っただけなのにもう息がたえだえだ。おばさんはそんなフィオの様子を見て笑う。
おばさんは力いっぱい荷台を押しながらもアルマの方に顔を向けて話しかける。
「アンタのお兄ちゃんはいい男だね!こりゃ将来モテて大変だよ!」
「...」
アルマは相変わらず表情が読み取りづらかったが、ふんっと息を鳴らしていた。満足そうに見える。
「...ごめんなさい、この子は...はぁっ...、この町に来てから、人と話すのが苦手になってしまって...」
「あーそうかい?こっちこそすまないね。大丈夫だよ、怒らないでくれ。アンタのお兄ちゃんをとりゃしないよ」
アルマはおばさんへ向き直りコクりとうなづいたあとフィオの背中を押し始める。
「おやおや、アンタまで手伝ってくれるのかい、ありがとうね」
3人で押す荷台はずっと速く坂を登り、教会の前までついた。
「手伝ってくれてありがとうね!」
「はぁっ...、はぁっ...、いえ...、はぁっ...」
返事も上手くできないほど疲れた。
「あぁ、これ。やるよ。取っときな」
そういうとおばさんは小瓶を一つ渡してくれる。
「えっと...、これは?」
「香油だよ。アンタ、見た感じちゃんと風呂にも入れてないだろう?」
「えっ...」
「あとはい、これ。小遣いもやるから浴場に行っといで。せっかくのイケメンなんだ。磨かないと損だよ。妹ちゃんの分もあげるから。二人で浴場に行ってきな。香油は風呂上がりに使うもんだけど...風呂に入れないときとかにもさ、ちょっと塗っときな。上手にごまかすんだよ」
(あ、あー......僕......今、...臭いのか。いや、二人で掃除用具入れに一カ月も泊まってたんだから当然だよね...!でも、僕はともかくアルマはもしかしたらずっと我慢していたのかもしれない。これからは毎日体を拭くようにしないと......)
「あ、ありがとうございます...!」
「大丈夫、大丈夫!本当に助かったよ」
本当に何でもないようにおばさんはガハハと笑っている。
「それじゃあね、もう少し大きくなったらウチへ婿においで」
香油をじーっと見ていたアルマだったが、その言葉でおばさんを睨みつける。
「おお、こわ、おばさんは退散しますよっと」
荷台を引く牛を引きながらおばさんは教会の裏手へと消えていった。
「...僕たちも、教会にはいろっか」
「...」
アルマは無言でコクりとうなづく。
(仕方がない、今日は教会のみんなには匂いは我慢してもらおう...)
少なくとも今知りたくなかった事実を胸に抱えて汗だくのフィオとアルマは教会へ入る。
その前に、もらった香油をちょっと塗った。
教会では大人たちが礼拝をしている間、子供たちは勉強を教わることができる。
基本は読み書き計算とかだが、いろんなことを教えてくれる。今は歴史だ。アルマは席に着くやいなや隣で寝始めた。
「...以降140年にわたりこの王朝は栄華を極めましたが、当時の王であったラトリテレーゼ5世が城に訪れた宣教師の教えを無視し、あまつさえ国から追放したことによって国中に疫病が広まります。そしてラトリテレーゼ5世が疫病によって死去したことに端を発して、国を三分割する大きな内乱へとつながります...」
自慢するわけではないのだが、宿の手伝いをずっとしていたこともあり、日曜学校で教わるくらいの読み書き計算なら簡単にできる。そういった授業はフィオからすると退屈でしかたがない。なので意外とこの歴史の授業は好きなのだった。旅の人から聞いてた話と若干違うところがあるのもフィオの興味をくすぐるのだ。
日曜学校が午前中で終わると、待ちに待ったお菓子の時間がやってくる。
アルマはいつの間にか目を覚まして準備万端のようだ。僕もアルマもどちらかというと勉強よりもこれが目当てで通っている。貴重な甘味を摂取できる一週間で唯一の機会だ。
授業を教えてくれたシスターが奥に戻るのと入れ替わりにブラザーが出てくる。
トレイにいっぱいの干しブドウ入り黒パンを持って出てきたブラザーに、子供たちは大歓声だ。アルマもこの時ばかりは目をらんらんと輝かせてトレイの上のパンを見つめているのだった。
ブラザーは室内を周りながらパンを子供たちに配り始める。十分な数があるためほとんどの子供は我先にと群がったりはしない。数人がブラザー――パンのもとへかけていくが、フィオとアルマは大人しく席で待つのだった。
やがてトレイを持ってブラザーがフィオのもとへやってきた。
「おや、フィオ君。これはトルトレイアの香りですか?」
「えっあっはい。今日はちょっと」
いつも臭くてすみません、とは言いづらかった。さすがに羞恥心が勝った。それよりもまだ4回しか来ていないのにすでに名前を憶えられていることにも驚いた。
「教会にも咲いていますよ、トルトレイア。好きですか?」
「...さきほどお礼にと、香油をもらいまして...。興味があったので使ってみました」
「それは。善き行いを積まれたのですね。そんなフィオ君に良く似合う、とても素敵な香りですよ。私の父も好きな香りでした。――今日をとてもいい気分にさせてくれたので、フィオ君にはもう一つパンをさしあげましょう」
「ずるい!」
「善行を積みなさい。善い行いには、それに見合った施しが与えられるものですからね」
最初に駆けて行った女の子から抗議の声が上がるが、ブラザーはピシャっと言い放つと再度パンを配り始める。アルマは既に自分の分を食べきったようだったので、追加でもらった分のパンはアルマと分けた。