小説/1章/006_ローズ
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フィオのこれまでの話を聞いたローズは目に見えて困っているようだった。
うんうんと唸り、顎下をひっきりなしにさすっている。
「...それは、つらいなぁ...」
テーブルに届いたミートパイとスープは食べかけのまま置かれている。フィオはサンドイッチが自分にくれたものだとわかると一瞬で平らげた。おそらくフィオとアルマの食費4日分くらいの値段はしているだろう。正解は怖いので聞かなかった。
「...なので、ローズさんのところで働かせてもらえませんか」
「う~ん...ただ、うちは...」
同情してほしいわけじゃない。仕事が欲しいのだ。
「なぁ、なんで男の君が働く?君の今の状況を考えると、妹ちゃんが働いた方がいいんじゃないか?魔力を多く使える女性のほうがいろんな仕事を選べるのはわかっているだろう?それに君はそもそも普通の男の子よりも選択肢が少なくなっていることは分かってるのか?」
「それは...、分かっています、けど...。二人でお金を稼いでいる時間は、あまり、なくて...。アルマには、少しでも試験勉強の方に時間を割いてほしくて...。...僕の、わがままなんです」
「...はぁ、そうはいってもなぁ」
「...あの、ローズさんのところじゃなくてもいいんです、赤鼻通りだとローズさんみたいにいっぱい稼げるんですよね?どこでもいいんです、他の仕事はないですか?」
「ダメだ、ダメだ!」
ローズは慌てたように手を振る。筋肉におおわれた大きな体が動いたことでテーブルもカタカタと揺れる。
「...ちょっと、考えさせてくれ...」
テーブルに肘をつき頭を抱えてぶつぶつと考えているようだ。少し黙ったあと、顔をあげずにフィオに問いかける。
「...君は、赤鼻通りで男性がしている仕事、...いや、男性が求められている役割を分かっているのか?」
「...」
あまりそういうことに詳しくないフィオでもなんとなく、察した。化粧の濃い男性、露出の多い男性。実家の宿でも、旅の人がたまにそういう男性を連れて泊まることがあったから。
「赤鼻通りは、女性が男性を買うところだよ。フィオ君、賢い君ならこの意味が分かるね?」
「はい、分かっています。...それでも――」
「いや、分かっていない」
ローズは顔をあげてフィオの目をじっと見る。タカの目のような、鋭い目だった。
「分かっていれば、そんな返答はできない」
フィオはローズの圧に気圧されそうになりながらも正面から見返す。
「さっきも言ったとおり、赤鼻通りってのは、男を買う場所だ。ちゃんと分かってるのか?好きでもない女相手に、ちょっとのはした金の代わりに自分の体と尊厳を渡すんだぞ。相手が年のいったおばあさんだろうが太った毛深い獣人だろうが、なんだろうが断れやしない。断ったらそれが最後、行き場所もなく野垂れ死にだ。赤鼻通りで働いている男性は、そういう、もうあとがない人たちなんだ――まぁ、例外はいるけどな。赤鼻通りはもう他に生きてくすべがない人が来るところだ」
「...ローズさんも、そうなんですか...?」
「いや、俺は昔はそうだったってだけで、今では誰にでも売ってるわけじゃない......。だが君の場合は違う。赤鼻通りで最初から客を選べるやつなんていない。俺だって昔は、好きでもない、酒臭くて不細工な女を、口先だけで褒めて、ベッドで腰を振って、満足させるのに必死だった。分かるか?ちょっとでも自分を買った女の機嫌を損ねたら――もっと具体的に言おうか。チンコが勃たないだけで、それで物理的に首が飛ぶことだってある。『私に魅力がないのか!?』って具合にな」
少し遠い目をしてローズは首に手刀を当てるポーズをする。
「それでもらえるのははした金だ。時間効率がいい?だが、それだけだ。割には合ってない。自分をだまし続けて、いずれ心が壊れる。君が入ろうとしているのはそんな世界だ。...それを、分かっているのか?と聞いているんだ」
「...」
フィオはこれに、分かっていると返すことはできなかった。あまりにも知らない世界だったからだ。実家の宿でも、赤鼻通りでも。女性に連れられる男性はみんな幸せそうな顔を浮かべ、華やかな見た目をしていて...そんな姿からはとても想像もつかないことだった。もしかしたらあの男性たちは嘘の顔をしていたのかもしれない。本当は嫌だったのかもしれない。あの笑顔の下では助けを求めて泣いていたのかもしれない。今ここで、フィオはやっと彼らを理解する入り口に立ったのだ。
だが、それでも。
フィオの決意は揺らがなかった。
アルマのために。それならフィオはなんだってできる。
ローズの圧を睨み殺すような視線で返していると、やがて彼から圧が消えた。
「......フゥー。わかった、じゃあ切り口を変えよう。君には脅すように言ってもダメみたいだからな......。厳しい言い方になるが、君を雇うメリットが俺にない。これは他の店も一緒だ」
「......それは」
「たしかに裏の一部の店では君みたいな年齢の娼夫も扱っているとは聞いている。......だが、俺たちから言わせれば、君みたいな子供の娼夫は店にとってただの不要なトラブルの元でしかない。そして俺自身も一人の人間としていい気分にはならない。......わかるかな?」
ここにきてハッキリと拒絶の意図を示す大人のローズに、子供であるフィオは何も言い返すことができなかった。
そして――。
「......無理を言って、すみませんでした」
「......これまた突然物分かりがよくなったな。......どうする気だい?」
まだ知り合って間もないというのに、なぜかローズはフィオの行動が手に取るようにわかるようだ。
「ちなみに君が今考えているそれは、どちらも無謀だぞ」
フィオの考えは今この場では諦めたふりをしておいて、後ほど ”子供を扱う風俗店への勤務”を目指す、もしくは ”個人での路上売春” を行うことだった。
「......でも。......でも、もう、......これしか」
フィオはたまらず涙する。もう選択肢がないのだ。
「......分かった。......俺の負けだ。だから、それだけはするな」
「また来てね!」
そのあとローズは冷めたスープと固くなったミートパイを喉に流し込み、フィオを連れてさっさと店を後にした。来た時と同じように女の子が笑顔で送り出してくれる。
なぜかローズと向かった先は、先ほどローズと出会った場所、『出会い酒場ローズ』だった。
店内は先ほど来た時よりもにぎわっている。それでもガヤガヤというよりは静かな笑い声がそこかしこで響いている様子だ。
「あっローズさん、おかえりなさい」
カウンターから男性が声をかけてくる。
「あぁ、ちょっと奥にいく。あ、酒を頼めるか?奥まで持ってきてくれ。...ほら、ついてきなさい」
ローズはフィオの手を引き、カウンターの奥の部屋へと入った。
「そこに座って」
「は、はい」
キルトのソファに腰掛けたフィオの混乱した様子で、少しローズの口調に優しさが戻る。
「...詳しく説教はしない。言葉だけでは君にはまだ意味が伝わらないだろうからな...。それでも、さっきのことだけはダメだ。それだけは分かってくれ」
「...」
「放っておいたら、君はそのうち客引きを始めるだろうからな。...うちで面倒を見る」
予想外の突然の採用にフィオは驚くだけだった。
ほどなくして琥珀色の酒がそそがれたゴブレットが運ばれてきた。...二つ分。
「おいっ、この子はまだ子供だ...、...俺のテーブルに置いてくれ」
酒を運んできてくれたお兄さんは少し申し訳なさそうにした後、ローズのそばのサイドテーブルにゴブレットを二つ置いて部屋を後にする。すぐに水も持ってきてくれて、フィオのテーブルにも置いてくれた。
ローズはゴブレットの一つを取り、軽くあおる。フゥーっと息を吐き、死んだ目で天井を見ていた。
「...で、どうするかなぁ」
しばしローズは考え込んでいるようだった。
「あんな張り紙で子供を釣ってしまうとは......やっぱりまずかったかぁ...」
死んだ目のローズはもうそこまで怒っていない様子でもあり、フィオの緊張も少しだけ解ける。
「...そういえば。広告の張り紙、あれは誰かに読んでもらったってことか?」
「...?...あ、いえ。実家が宿をしていて。小さい頃から帳簿整理の手伝いとかをしていたので字は読めるんです」
「...ほぉ」
ローズの目に少し光が戻る。
「そういや君たちの両親はバラボ街道の途中の集落で行方不明って言ってたね。その宿って、そこでやってたのかい?」
「はい」
ローズは目をつぶって顎をさすっている。
「...じゃあ、宿の業務......えーと、受付とか宿帳の記入、備品の管理に、帳簿の確認とかやったことある?あと、酒場での注文、配膳、調理、食材管理とか」
「あります...。...あ、いえ酒場の方は経験がないですが...」
ローズは一拍おいて少し考えた後、軽くうなづくと、ゴブレットの残りをグイっとあおる。空になったゴブレットをサイドテーブルに置き、もう一つもあおり始める。
「フゥー、......さっきはどうなることかと思ったが...」
フィオに向けられる笑顔は朗らかなものだった。やっとローズの笑顔を見た気がした。
「思わぬ拾いものかもしれないな」
「...あ、それじゃあ...!」
「...あぁ、これからここで働いてくれるかな。...もちろん娼夫ではなく、裏方としてね。...まぁ、夜だけで高収入とはいかないが。そっちはまだ許さないよ」
フィオはまたもや涙があふれる。レガン市に来てからはじめて、強く温かい人に迎えてもらえた。
「うちへようこそ。フィオ君。これからよろしく」
赤鼻通りの外までローズに送ってもらった後、フィオは手を振って別れる。ローズは見えなくなるまでその場に立っていた。
日はすっかり沈んでいる。フィオは足取り軽く、下宿先の酒場へと帰る道を進む。大通りの途中で羊肉の串を買う。2本で40リル。今日は祝勝会だ。
遅くに帰ってきたことをアルマに怒られはしたが、長期の仕事が決まったことを――場所だけはぼかしつつ――伝えると、アルマは飛び上がって喜んだ。
二人で食べる久しぶりの肉は、死ぬほどおいしかった。